その可能性はすでに考えた (講談社文庫)

その可能性はすでに考えた (講談社文庫)

★★★。探偵は依頼人を救うため、事件のミステリ的な解決を目指さず、それが奇蹟であることを示そうとする。推理対決では、敵役の提示した推理をこのセリフで否定するのだ。そういう役割の配置とか全体の流れは面白かったが、とにかく物語より先に作者のやりたかったことが伝わってくる。高校生のセックスなのだけど、セックスしてるほうが偉いのである。はぁこういうことね、と何か理解してしまおうとする自分が先に立って、共感とかはない。あっという間に謎のお膳立てが出来上がるところとか、キャラクターの味付けが異様に濃いばかりのところとか、とにかく謎解きが中心なのだから、ストーリーは機能的なものを添えておきました! という態度で潔い。続編にいつか出会ったら読みたくはある。

Twitterから久しぶりに通知があったので、なんだなんだ、と探ってみたらアイドルマスターの新しいコンシューマーゲームが出るのか!今年こそ真の誕生日を忘れそうだと思っているくらいに、分解されきってしまっていることを驚きもなく受け容れている。動画は全然見ないたちなのだけど、久しぶりに疲れはてていて家でビールなど飲んでたので、つい見たわけだ。

https://starlit-season.idolmaster.jp/

いやまあ、純粋にいいですね、と思うよ。見てくれがすげー良くなってるのを感じる。それは素晴らしいことです。技術の勝利。たぶん髪型変えたり、ポーズを取らせたり、いろんなことができるんだろうな〜。そういうの含めてキャラゲーでしょう、という予想はいつもの通りで、これをおれは楽しめるけど、ロートルがそうしてる姿は愉快だろう。アーケードではない以上みんな一緒で、コミュニケーションはあっても、破壊と再会の物語はない。みんなわかってて、おれの全部はそれに依拠してる。かろうじて優位を保てている気がしてる。そればっかり。そればっかりの貧困。真の新しいフィギュアが出るチャンスなので、そこは純粋に期待。けどお前たちの物語はおれのそれとは違うんだよ。

Bird by Bird: Some Instructions on Writing and Life (English Edition)

Bird by Bird: Some Instructions on Writing and Life (English Edition)

  • 作者:Anne Lamott
  • 出版社/メーカー: Anchor
  • 発売日: 2007/12/18
  • メディア: Kindle

★★★★。はじめに何で見たのかわからないが、本や記事で何度か言及されているのを見かけたこともあり、きっと有名な本なのではないだろうか。前に購入して、読みさしにしていたのを改めて読み直す。著者は小説家として、物書きのクラスを持っている。そこで話している内容をまとめたのがこの本。テクニックや単なるハウツーでないことはわかっていたけど、思ったよりエッセイ感が強かった。英文だと読むスピードがめちゃくちゃ落ちるので、読んでるあいだにスタックが崩れ落ちて、あれ、いまなんの話だっけ? となってしまう。同じ理由で、さっと読み返して文脈を復元する、ということもできないから、カラー映像を白黒でなんとか観てやろうとしているような感じがある。

生徒には、あと読者にも、出版することに執着している人が多いようで、しかしそれは夢のような体験ではないよ、と著者は言う。むしろ書くことの喜びとは書くことの中にある。そして書くことだけで見えてくる何かがそこにある。書くことというのは、人生のためのことである。

うろ覚えだけど、書くことというのは夜道を車で走るようなもので、ヘッドライトはその先数メートルを照らすだけだけれど、やがては目的地に着くものだと。だからまずは、拙くても書く、それしかないようである。書くことによって発見するプロセスがあることはおれにも覚えがある。

本の中に ring true って言葉が繰り返し現れるように、物語は真実のことでなければならない。自分の中の抑制者、完璧主義や親の声を無視して、自らの痛みを書き出すことをしなくちゃあいけない。

あとで読み返しながら追記する。

謎のフィーバー状態で、20人近くとの面談を、続けざまにこなしている。何も手につかない。こんな感じで丸1日予定が埋まってるからね。この奔流の中で、それはそれで仕事してることは、もっと褒められてもいいはず。これも今日までがピークのことで、朝も必要以上にdesperateにはならず、ここまでやってこれた。偶然だけど、辛いのを最初に持ってこれたのがよかった。今週乗り切れば、あと辛いのは来週までである。今週じゃねえのかよという。

辛いときに擦りきれないようにするベストな方法は、寝る、なのだけど、加えて、何か自分の書いたものを読む、とか、何かあたらしく自分の為のものを書く、である。最近は去年の年頭に書いていたエロ小説をあらためて書き直している。これは一から十までおれの趣味が反映されることを許されている場であり、おれがまた読んだときに必ずや改めて喜びを得られるものであるはず。書かれたものというのはそういうもの。これは未来の疲れはてたおれのためのプレゼントでもある。

しかし去年のはあまりに性的に拙速すぎて、なんの情緒も感じられず、読むに耐えないものだった。実際読めてない。そこで今回はあらためて真実、人間のことを書く練習であり、それを書かせるためにエロを餌としているていで、今日もオナニーに勤しんでいる。

そこはかとない敗北感に苛まれている。人の上に君臨するものとして、人間を勇気づけ、かれらの課題を理解して、先々を示す、そういう姿が求められているはずなのに、言葉は空虚。そう、空虚な言葉だけが、おれと人間との間にある。今日も現実を分かっていないまま、その場を取りつくろうためだけの、口先だけの発言をする。言葉に裏付けはなく、自信がないのでおなじフレーズを繰り返す。死ななかったというだけの意味で生き残っただけなのに、不当な扱いをうけている。このままやっていけるはずはないので、脱出の方法を考えていかないといけない。にょえーん。抽象的でカッコつけたことを書いてるが、ただ無能ってだけだよもん。ぬるく生きていて絵。

同僚と退勤後に飲もうという話になる。一度それぞれ帰宅してから、これこれの場所に集まること、と決まっていて、すでに日もとっぷりと暮れた中を電車で帰る。帰る先は、15年も前に住んでいた家の最寄り駅。しかし隣の男と確認してみると、そこから飲みの会場にまた向かうには少なく見積もっても1時間はかかる。だいたい会の始まるのが午前1時の計画だったから、これは再び家に戻るのは無理だろうと思って、主催者に不参加というか延期を申し入れる。かれも今日のこの時間に特にこだわりはなかったようで、円満に流れた。

洗い役(?)として女湯に入る! なぜか合法的にそういう役回りを拝受している。脱衣場にはすでに全裸のおれとおれのパートナー(おれは彼女の庇護下にある)だけがいる。周囲にほかの女性もいるような気配こそするものの、姿は見えていない。いよいよパートナーが浴場の戸を開けようとするが、セキュリティのためかとてつもなく長い問答をこなさなければならないようで、交わされる内容も巻物じみていて理解できず、犬のように待っている。

寝不足で目を覚ますと朝のあいだ動悸がして不快に思っていたけれど、7時間近く寝てもこうなのでこれはただ勤務したくないだけではないか? と訝しむ。冒険がしたい気分でもなかったから、今年初のランチはいつもの蕎麦屋だった。一人で来店すると、席に座るときに必ず何かしらの新聞を置いてくれるのだけど、読んだことはない。据え付けられたテレビではいつもワイドショーをやっている。そこで蕎麦を食いながら本を読んだり、ノートに何か書きつけたりするのが気晴らしになっている。そのような退避場所としてうまいコーヒー屋があったんだけど、畳んでしまった。ここの蕎麦がとても美味いというわけでもないので、また代替を求めてぶらついてみてもいいのかもしれない。ただ店の雰囲気は落ち着く。厨房は見えないが給仕はおばさん……女性ばかりの店で、家族でやっているみたい。ときどき子供がテーブルで本を読んでいたり、店の人もまかないを食べていたりして、混んでもいないし、気楽ではある。居座れるのは重要。

2020年のテーマは集中と定形化。近年は注意散漫なことが多すぎた。整理しないままのあれこれを能力の限界まで詰め込んだ結果、意識がちりぢりになって何もできていないし、単純に疲れている。些末なことを定形化しきれていないので、日々の摂動が大きくなっていることも、それに拍車をかけていると思える。なので集中と定形化なのです。つまり:

  • 会議中に内職しない。
  • 歩きスマホをやめる。
  • 残業しない。

ショボいのはいいとして、これは回避的な目標だなあ。

  • 人の話をちゃんと聞く。目を見る。
  • 景色を見る。音を聞く。
  • さっさと帰る。

残業するのは、仕事の時間が終わってから、やれやれ、仕事をするかという思考になっているから。創造的か非定形的で、すぐには終わりの見えない仕事をするとき、まとまって空いた時間が欲しくなるんだよなあ。その時間が取れない理由はほぼ明らかで、わざわざ時間を取って、何かを完遂させられる自信がないからだ。自分の性向からすると、単に慣れの問題であろうとも思える。

あとはマネジメントをぶっつぶす。退路を確保しておく。

QJKJQ

QJKJQ (講談社文庫)

QJKJQ (講談社文庫)

★★★。今年の古本で買った1/1。乱歩賞。どちらも詳しくはないのだけれど、メフィスト賞でもよさそうなお話である。ミステリというよりは、探偵小説といったほうがしっくりくるように思う。猟奇殺人鬼一家の娘が、消えた兄の死体と母親の謎を解く。少なくとも解こうとする。娘を除くと家に残ったのは父親だけで、この事態にのらりくらりとしているし、意味深なことを言うし、いかにも怪しい。設定は奇妙だけど、全体のお話の流れとしては意外とシンプルで、メタファーやモチーフみたいなものも、あまり包み隠さず提示されている印象がある。例えば……地下室の死体とか。監視カメラとか。無駄な装飾がないと言ってもいいのかもしれない。QJKJQの意味はよく分かんないんだけどね。かなり最初のほうから匂わせてるとおり、兄も殺人一家も少女の妄想であったということが物語の中盤でわかり、そこから先はこの父親は誰なのか? 私は誰なのか? というのがテーマになる。この転回自体は珍しくないと評にはあったようで、そういう気もするけれど、具体的に何か名前を挙げられはしないなー。亜李亜の三日間にわたる探偵の道のりであるし、クライマックスでは血を見るような戦いもあり、グロテスクな物語でもなくて、ストレートな冒険譚のように受けとれる。

2016年 第62回 江戸川乱歩賞|日本推理作家協会

もう一昨日のことなんだけど、さっそく何だか落ちこんでしまった。だいたい、その前の日からして、つまり元日だけど、テーブルゲームで全然勝てなかったことがかすかに尾を引いていた。テーブルゲームって何か、頭のいい人は上手い、という強迫観念に近い印象があり、逆にこれで上手く立ち回れないと、自分の頭が良くないということを確認させられているようで、気分がどんどん沈んでいくのが常である。運のからまない、一対一の勝負はとくにそうで、あまり考えすぎても間抜けだし、ということなのか、たんに頭脳の忍耐力がなくなったのか、考えを放棄して適当な手をうつとあれよあれよという間にやられてしまう。これはまあ、頭がわるいと言われてもしようのないことですね。それで二日。去年に引きつづき、本屋で古本を漁ろうとしていたわけですが。今年はどうもまだはじまった気分になれていないし、あえての自己啓発本を選ぶ気にもなれず、あまりいい本に出会えなかったのだが、さまよっているうち、本棚でおれが心底嫌っている人間の本を見つけてしまった。新しい本である。そいつは……こと細かに書こうかと思ったけどそれもシャクなのでやめておく。一応さっと目を通して、とるに足らないものだと分かりはしたものの、それでも出会ってしまったこの事実が鈍く心を刺している。それからよく寝た。