人にレッテルを貼らずに生きていたい…。見知らぬ他人、知る人に異なる文化を持つというだけの理由で『軽蔑すべき』『理解不能』などというタグを充てるのは想像力不足かコミュニケーション不全か。いかに俺の対人能力の低さを斟酌しても、他人の性質にその理由を押し付けるようなことはしたくない。行動原理・利害の不明な人がいることなんてもう何年だって前から知っているのだからそれを排除しようなんて風に持っていきたくないと思う。相手が俺のことを理解せずとも俺は相手のことを理解したい、とずっと思ってきたよ。(そうだとしたら理解するだけの能を持たない相手を見下せるしな)
俺はいくたりかの人間を嫌いに思ってきたけど、それぞれには明確な理由を持ちたいと思っているし、それがあるということです。基本的には博愛主義者なのです。