死にたいと公言する人よりも価値のないおれが何で生きているんだろう?おれはまだやりたいこともあるし死にたくなんかないのだが、それならおれよりも意味のある生き方をしている人がなぜ死にたいなどと言いながら生きつづけているんだろう?死にたいという人が今日も生きていることでそれよりも価値のないおれはますます価値を錆びさせてゆく。それとも死にたい人はおれたちほんとうのカスどもが死ぬまで死なないつもりなのだろうか?その一言がおれたちにプレッシャーをかけているのだろうか?何にせよ死にたいと思ったものがまったく、まったく高らかに声をあげることもなく、誰も気づかぬうちに死に、忘れ去られていけばいいなと、おもいます。
恥ずかしい恥ずかしい
見渡してもこの部屋にある物品のうちひとつとておれの手によるものはない。酒も本も機械も、おれの手によるものではない。せめて保険証におれの名前が書いてあるくらいだ。おれが彼らにはたらいたことといえば、金を払ったということだけだ。みなさんに対してできることが、金を払うだけというのは、どれだけ寂しいことか。おれはやっぱり、友達がほしい。