俺は何がそんなに気にくわないのか

思考に靄がかかってきたところで、立ち戻って思ってみますか。

おれが気にくわないことと言えばもちろん、放映まであと一週間ほどを控えたアイドルマスターのアニメ化のことである。ちなみに関東で放送されるのが一週間後というだけで、関西ではさらに一週間を待つ必要がある。これがさらに苛立たせるのだが……とりあえず並べ立ててみよう。

まず、関東でおれより先に観る者がいることが気にくわない。へっ。それから放送後にエントリを書くものがいて、はてブなどで話題になるだろうことが気にくわない。いつものごとく、ニコ動にMADが上がるだろうことが気にくわない。したり顔でゼノグラシアと比較する者が現われるだろうことが気にくわない。それから、アイマスに何の思い入れもない者ですらおれと同様の環境で、同じ状況でアニメを観られることが気にくわない。そしてそういう者たちはおれのような妙な拘りを持ちあわせていないから、却って自由に楽しめ、自由に語れるだろうことが気にくわない。おれの出自も来し方も知らず(当然だ)、無邪気に語るものが身近にあるだろうことが気にくわない。

一から十までこれらのことにはでっちあげられる大義名分すらなくて、まったくおれの個人的なことで、恥ずかしげもなく正直なことを言えば、これは嫉妬をしているということになる。あーやだやだ、今さらどうしようという気もおきないよ。嫉妬をするという点だけにおいてはこれは恋愛にも似ているかもしれないけれど、支配欲求を持つその相手が人格を持たないという時点で、悲惨なことになるのは目に見えている。彼女の能動をおいてほかに俺に決定的な一打を加えることができるものはないから、おれの心の摩耗を待つしかなくて、この退廃的な状況がずっと続いていくに任せるしかない。

おれは今回のアニメ化が大コケすることを望んでいる——それはどんな駄作を見せられても俺はそのありようを愛することができると分かっていて、それならなおさらそれを独占できるという浅ましい思いがあることも全部わかっていて、わかっているから苛立たしい。どうせそこそこ以上の出来になるのだからその空想も儚いのだけど。

おれはどんな風にも創ることができず、語ることができないのが悔しい。以来ゲームは語られてきた。創るものもあった。二次創作からさらに始まることもあった。今度のアニメ化で、また語るものが大勢あらわれ、創るものもそうだろう。そういう新しい趨勢の中、おれは何もできなくて、それを無視するか、甘んじて受け入れるかしかできない。おれは何もできない。

悔しいと言うのは当たっている。おれは何もできないから悔しいのだ。たとえ世界の代表としてマイクを向けられても、おれには語る言葉もなくて、手を動かすこともできなくて、立ちつくす。おれには何も望めない。何もできない人間が、ひとりごとを言っているだけだ。自分の愛するこの足元と、そこから拡がる世界になにより自分自身が不要だということがはっきりと分かっているのが辛い。

万一おれと接する人がこの日記を読むときには、まさかとは思うけどおれに遠慮するようなことはまったく無用で、逆に何のしがらみも自由に観て語って欲しいと思う、のは、恨みつらみを並べ立てても、そうすることでしか、おれはこれとの繋りをもう思うことができない現実があるからだ。いらいらと心に燠を抱えつつも、それこそが俺の喜びになっているからだ。無邪気な感想をこそ嫌々聞くことが、おれの魂の供養につながるからだ。

HAHAHA。これが2クールあるという話で、じゃあ半年ものあいだ悩まされなければならないのかと思うけど、どうせ最初の2回ほどを過ぎればおれは慣れてしまい、実際どうということもなくて、どうということもないのだなと思いながら、ただただ日常に還っていくことになるのだろう。すべては一時の話だ。他人の反応を御する方策さえ決まれば、半年も楽しめることは逆に良いことだといえる。ああ、ゼノグラシアBDボックスでないかな。