真似事も上手にできない自分を思って情けなくなる。大抵の手や頭を使ってすることは修練と研鑽で何とでもなると思うけど (そう思ってないと俺の世界が成り立たないがゆえにこれは恒真なのです)、人が何げなく書いたに違いない文章にひそむ翳りを俺はものにすることができない。訓練のすえ書かれる文字の上っ面を真似ることができたとしても鍛えあげた逞しい腕は拙さや気取らなさを忘れているからだ。それとも憧れを抱くのは書かれたことではなくその人自身で、その内面を忠実に薄くなぞる言葉を書くのに技術なんてものは初めから出番などないのかもしれない。