アニメの #5 みんなとすごす夏休み

そもそも視聴者に選択権はなく、そして作る側が良心的であろうとするならば、水着回をやるなら必ず全員を出さなけりゃいけないので、ここがそうならば全員集合の最後なんだろうと思う。そもそもみんな仲良しで話が進むわけもなくて、彼女たちはアイドルとしてだけでなく、少女として、人間として、あらかじめ定められた半年間を経て成長をすることになる以上、彼女たちの人間関係にも問題が与えられて解決していかなけりゃ、視聴者は満足できないだろう。いまゲームを離れ、この地上波の舞台に立った以上、ストーリーはアイドルとプロデューサーだけに共有されるものではないので、彼女たちみんなの各々が孕む問題が、絡みあい、時間をかけて解決されるものでなけりゃいけないと思う。それぞれが孤独に抱える問題は当然あるものとして、彼女たちの関係における懸念の物語があって、解消されなけりゃ、そうでなけりゃ彼女たちの何人もが同時に画面にいるドラマは昇華できないだろう。雪歩が(それなりに)自然に貴音に話せているのを見て感じた違和感はそこかと思う。はじめからさいごまで幸せな女の子たちがずっと幸せな話ではなく、努力と、苦闘と、敗北と、舞台と、その他全部をそれぞれの世界に内包してきてこそ彼女たちの人格があって、そうであったから今の彼女たちがある。まあ、次回以降、竜宮小町の登場以降、事務所のメンバーの中に不均衡が生まれ、やっとそれから始まるはずだと思うから、問題ない、これからだ。水着はともかく、後半になって、夜、数人きりで話すところとか、布団に入ってからの会話とか、そういうのが見られるので、全然外してるなんてことはなくて、満足する。ここの匙加減は単に人間によって大きく振れるところなので俺たちがすべきことはむしろ主観的な、余分な妄想だろとも思う。