アイマス・アニメの #6 先に進むという選択

アニメを見ていて、キャラクターたちが動き語る様子に現実感がないのは、数年の間に、俺の抱える想念が、凝り固まってしまい、もはやそれにそぐわないものを異物とみなして排除するような防衛の機構が、完成してしまったのかと思う。同様のメカニズムで俺は他人を排する。かといって確固としたものが俺の中にあるわけではなく、言葉にできないぼんやりとした型に、はまらないものだけを選び出して、難癖をつけようとする心理がある。俺がこんなざまになっているのは、一つには、そういったイメージを人に語ろうとしたり、形にしようとする試みをまったく行わず、そのため循環も、新陳代謝もなくて、年々醜く成長するだけの結石となって、脳に居座っている。これを捨てれば俺も自由になって心を愉しませることができるだろうけど、この靄のかかったはっきりとしない彫像こそを真実だと俺は信じきってここまでやってきたため離れがたいのだろうね。
で今回のことだけど、彼女たちがどういう行動をとったかということも、それより、なあ、春香は、真は、美希は、どう思ったんだ?事態に際し、仲間のためにどうしようと考えたのかということ、それがキャラクターなんじゃないのか。プロデューサーが去った後、春香と響はどういう言葉を交わしたんだろう、もっと個人的なストーリーが、いくつもあっていいんじゃないのか。
とかとか、言うけれど、よかった。竜宮小町ダンスシーンはよかった。あれが人の手によって描かれたアニメーションとなったことに意味があるに違いない。アイマスはアニメになったのだ。史上、公式のユニットが、地上波に乗り、正式な手順でテレビに映ったのだということだ。感慨は薄くとも、大切なことだ (泣くけどね)。クライマックスは、テレビの中の伊織がウィンクをし、美希がそれを見つめているシーン。一歩先んじた伊織たちを彼女たちは、人前にいなくてはいけない、ステージに立つのでなけりゃ意味がない。あの中の誰ひとりそれを疑ってはいないはずだ。アケの頃からあったよね、全国のユニットが放送されるタワーが。
かわいい女の子たちの、かわいい風景なんてものを俺は求めていなくて、彼女たちがかわいいことを俺は十分知っていて、ストーリーが欲しいんだ。と思いながらも、しかしインタビューのシーンも、真昼の歩道を歩くプロデューサーと、春香とやよいのカットもよかったし、バドガールの雪歩もすごくいいです (ヘラヘラ)。俺はたぶん短絡的すぎで、2クールかけての話に思いを馳せるだけの能がないのだ。全部が終わったときひれ伏すだろう俺は。あと次回予告がアホみたいにかわいいのでかわいいとは暴虐である。