……そうして個人的なことを物語の人物に託して書くというのは、体験や思考を直截に書く日記とはまたちがって、頭の中がその状態に至るまでの過程までもを含めて文字に落として保存するってことだった。そうすることで個人の体験は切り貼りされ、本来そうであったものとは多くがかけ離れてしまうけれど、一般化され、パッケージ化されているからより他人にとって親しみやすくなるし、コンテキストを内包しているため鮮度も高く保っておけるのだと思う。短くともそれなりに完成したストーリーを作ろうとするならその全体を出来事というもので埋めなければならず、この拠り所になるのは当然自分自身の知見しかないわけだけど、実際これにあたってみると、どうしようもないくらい自分の経験は貧弱だということが解った。もしくはかなりを忘れ去っていた。自分のことは頭の内側だけ見ていれば十分だが、人間のことっていうのは内外の相互作用であり、ともかくこれを知らないと人間のことは分からないのだなと思って、ともかく部屋を出て、人を見るなり、場所を見るなり、どこかしら足を運ぼうという気は出てきた。それでたまに敢えて外出するようになった。(つづく)