"リア充"

こういうセンセーショナルな言葉は便利すぎて独り歩きする傾向にあるな…。
誰かが人の現実を羨むとき、それはリア充という言葉によって簡単に人を二分しようとする。あたかもそこに絶対的な基準があるかのようにだ (非モテという言葉もそうだった)。ほんとうに、レッテル貼りの言葉というのはアイデンティティを確立できない能無しのための道具だった。彼らは、自分はこちら側だから…向こう側のお前は責められるべきだと言うのだった。自分は恵まれない人間だからそうでないお前らを攻撃する権利があるなどと言うのは気楽な堕落だ。
ま、このご時世、そういう奴らが出てくるのは仕方のないことなので、俺は正しく健やかに人生を送る。劣等感や嫉妬にひねくれる奴らを尻目にな。