戯れに漁村と呼ばれるような場所に行ってみたのだけど、立ち並ぶ家々のうち三つにひとつは空き家となっているようで蔦にびっしりと覆われており、残りの家も手入れはされているようだが人けがしない。天気はいいのに誰もそとを歩いていなくて、両側に民家が迫っている細い路地を歩くと壁越しに住民が息を殺してこちらの足音に聞き耳を立てているのではないかと想像してしまう。よそものが来ていい場所じゃなかったんだ、と夏の名残りの明るい光のなかでさえ怖ろしい心地がする。訪問者に与えられた道は急斜面に立つ家々の残渣でしかなく、地図もあてにならず進んでいるのか戻っているのか分からなくなったころ、入江に出た。朝起きて目の前に海がある生活ってどんなだったろうな。
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だんだん、長い文章を書くこともできなくなって、自分の考えのリフレクションが得られなくなって、回復と消耗の収支が逆転して、そうして老いていくのかもしれない。
や、んなわけねーな! 楽しいことしかないわ。消費のように生産するってことをしてるのよ。いま。われわれは。それが楽しくないわけないです。消費としての破壊はあっても生産はなかったよ。新しい遊びだよ。
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Switchで急に安くなってたのでCrypt of Necrodancerを入手。何個目だと思うが……。幻想水滸伝リマスターをマジで何個目だってレベルで買おうとしてたのを思いとどまってのこれなので許してあげてほしい。しかし初見では信じらんないくらい難しかったけど、やや酒飲んでてもワールド4までは来れた。まあここからが長いのですが……。久しぶりでも身体が覚えてるもんだ。神ゲー。
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もっと日記書いたほうがいいなと思った。
おれは保健体育の教科書に載るくらい健康優良児なのだが(じっさい、東京に行ったときに男子中学生の集団に声をかけられたことがある――「あっ山田(仮名)さんじゃないっすか!チッスチッス」めっちゃ遠くから声をかけられた。チッスじゃないんだが。しかし大学生の時分ならともかく、おれもいい年なのでかれらに自販機のジュースをおごってやっても鼻につかない。「で、何、君たちはどこ中なの」「へぇ、あっしら〇〇中でして」聞いて驚いた。おれも知ってるような名門校である。そんな学校でも採用されてるような教科書に載るなんて鼻が高いね)そんなおれが……おれが痔になるなんて。塗り薬とかで治るのか〜? ケツに注射するとめちゃくちゃ痛いことだけは知っている。
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や、おもしろかった。史実を知っていると1980年5月18日(あれ、20日だったっけ?)という映画内の具体的な日付に意味を感じられるのだな。おおまかな内容は想像通りのストーリーだが、よかった。記者が実在していたのも含め。
キムチのシーンは視聴者に向けたサービスだとは思うがよいシーンだったと思うし、あと市井の人間は基本的に美形ではないのに較べて記者陣、もしかしたら軍人も、がそうであるのは、住む世界の差を表しているように思う。
これで『少年が来る』
ハン・ガン『少年が来る』を読み終えた。うむよかった、と言っていいのか。それにしてもおれの近現代史の知らなさといったら、いったいどんな世界に生きてきたのかなと思うほどだね。逆にそれが面白くて海外小説を読むのかもしれないね。
— kejinan (@kejinan.bsky.social) 2026-02-10T13:57:39.498Z
からの『東アジア現代史』
からの『新・韓国現代史』
からのこれ、の流れを終えることとする。
新・韓国現代史
レームダックってlame duckだったのかい! という驚き。
おれ的重要イベントを挙げておく。
- 朴正煕クーデター(1961)
- 暗殺、全斗煥(1979)
- 光州事件(1980)
- 民主化宣言(1987)
- 金泳三で文民政権に(1993)
93年っておれにとってはつい最近なのだが、こんなときまで文民政権でなかったというのが意外中の意外。日本と韓国って同じような国だよねくらいの曖昧で間違った理解でいたけどそんなことはないのであった。そりゃ朝鮮戦争とかあったもんなあ。ちなみに朝鮮戦争がどのようなものであったかっていうのは、もう本を読んだことも忘れてしまった。はえー。言ってしまえば、日本は敗戦から復興に向かって一本道だったわけだけどそれが隣の国でそうであるわけないもんな。当たり前すぎる。
こないだの大統領が発狂したときの民衆の動きも、ここまでの民主化の流れを思えば深く納得できるというものだな。逆に日本で民衆によるデモクラシーが盛んでないのは、敗戦後統治による、当事者意識のない民主化が原因なのかもしれないね。
現代史かくも面白いのだが、今に近づくにつれ描写が叙事的になって理解しづらくなるのはやむない。
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いまさら突然『Floor Killer』がカッケーな、とおもって歌詞を読み読み口ずさんでみているが、速さ一割減にしてもまだ速い。等速だと信じられない速さである。そんなに舌というか唇が動かねえよ。
言わずとしれたグノーシアのEDなのだが、フロ(ア)キラーがグノーシアと韻を踏んでいるのだとこのとき初知り。それもかっこいいわ。
近況
AIでなんでもできるようになった今、おれでもできるんじゃね!? という根拠のない自信に実態が(不相応ながら)伴うようになっている。だとしたらボトルネックは時間ではなくてらもはや人の気持ちだってことだよ。別に時間さえあれば人間なんでとできたのだけど。 なんでもはできないけどなあ。ただ、できるってことの価値が変わっている。
これ読んでるんだけどようやく光州事件に到達。クーデター(1961)を経て朴正煕政権に→暗殺(1979)を経て全斗煥時代、光州事件(1980)って流れだけは頭に入ったかな? なんかこの辺の流れは現代ながらも歴史のこと、という感覚なのだけど金大中みたいな名前も登場人物として出てくるのが、おれにとっては同時代のものなので不思議な感じがある。
それにしてもこの本に感じる違和感はあらゆる固有名詞にTheがついているような印象によるもので、例えば済州島に言及するときも「あの」済州島、歴史を元からたどるので今は何も起きていないが読者のみなさんはこの島が歴史上どんな立ち位置から知ってるよね……というニュアンスがおそらく知らず知らずのうちに含まれていて、とうぜんおれは何も知らんので混乱する。混乱する理由がわかったのはそういうことだった。ただおれがこの本の対象読者ではないってことなのだろうけどこれに気づけないとかなり読みにくいぞ。数学の本だとゼロから積み上げるので行間は読者への演習とされるか自明とされることが多い( ;∀;)
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古いマシンにLinuxを入れて久々に自宅サーバをセットアップしたので、herdrでcodexとclaudeを飼いsshで話しかける日々をしてみていたが、今はChatGPT(Codex)でもClaudeでもスマホアプリでリモート接続できるのね……便利。非力でも常に動いてるマシンがあるだけで、でかいプログラムをビルドしたり機械学習をするのでなければ長時間の試行錯誤はさせられるし、楽しい。ようやく上位プランにしてもいいかもなという気がしてきた。やはり思考や可能性は装備に律速されるな。

