そもそも俺は何かの事柄について語ることなんてできないってことを経験からすでにじゅうじゅう知らされているからこれはと思うものがあっても雄弁な他人を横目に口を噤んでいることしかできない。その通り、俺には自分語りしか残されていないから最後の砦である自分を差し出してその対象を自分の一部として取り込むことでせいぜい何かを言える気分になろうとする。自分にしかない(当然だ)経験を持っているのだという僅かな優越感とそれを敷衍して価値ある語りにできないひどい劣等感とを持ちあわせてるからコンプレックスになる。さあ参加しろ、金を使え、書け!描け!けれど俺は幸せに(不幸に)語る人の陰で泣きもしない。ばかになってしまったのだ。