本の整理してたら面白い本があったので引用して捨てよう。

私が在るということを繰り返し象徴化し続けるような、象徴の連なり、そういった連鎖の一例を、ここで考えてみることにしよう。
私は知っている、私が現に在ることを、そしてそのことに起源があるということを。この象徴化は、知・現存在・起源、のそれぞれの主体から成り立っている。次に、私が現に在るということを知っている私は、現にある(コギトの論理)のだから、知の主体は新たに現に在る主体となる。そうすると、そのことを知っている主体が、さらにその後に生じる。この終わりなき成り行きを、数列で表してみよう。
まず次のように書く。

0 「起源の私」→ 1 「現に在る私」→ 0+1 = 1 「知っている私」(現存在とその起源とを、知の中に包摂している私)
〔ほんとは図になってるんだけどうまく描けないので一行で〕

〔……でフィボナッチ数で黄金比

ここには、私の現存在を、黄金数、すなわち対象aとして見出したいという私の情熱が、この象徴系列を支え、続けさせていることが示されている。
ラカンの精神分析 (講談社現代新書)

テキストエリアが腐る。フィクション的なこじつけの楽しみはそういう分野の本だと断ってからにしていただきたい。これ本人は真面目に言ってんだろなと思うと脱力する。