「奇貨」って「機会」のtypoかと思ったけど機会に似たような意味で存在するのね。おもしろい。

太陽を見て眩しいとばかり思いつづけているとき、それは太陽だけを見つめすぎなのである。本当は空が星で満たされていることを見落としている。ポエミーだけどなにかに苦しめられているとき、こういう表現になる。いまはどうせすべての人間がモニタの中にしかおらず、1ピクセルの向こうにひとりの人間がいるわけでもなく、カメラとマイクとキーボードによって歪められた人間の存在が、ギガになってネットを漂っている。戯画となってな。