0時周ってから寝たけど、初夢じゃない……? 明らかに仕事な夢も見たんだけどそれは忘れた。バーチャルリアリティ的なデバイスで、直接は出会っていないにもかかわらず多くの人に囲まれる。おれの360度カメラだけが向こうにあって、そのまわりにぞろぞろと人が集まってきているのだ。劇団的な人びと、正確には分からないけどそういうつながりだ。朗らかによろしくおねがいしまーす的なあいさつをしながら、10畳くらいの部屋の密度が三々五々高まってくる。おれはその中心にいて、おれだけが別の所でカメラごしに彼らを見ている。劇団員たちからはカメラだけが見えておれの姿はわからない。おれは彼らに囲まれながら透明人間的に、ぜ…全裸で、その…自慰をしていた。

2018年をよかったasinで振り返る

毎年この日になると全然読めてねーなーと嘆くのがもはや恒例になってるが、本読むくらいならやりゃあできる話なので、短期的な誘惑をいかに本気で排除するかってだけのことだ。

1月: StrengthsFinder

これ今年だったか……。かなり昔のように思うってことは、それなりに変化のある一年であったってことではあろう。年初の意識高い状態を作りだせたって点でよかった。しかし数ヶ月でこれ、だれるので、たまに意識的にリセットしないといけないな。年三四回くらい。今のおれだと、転職活動がいちばん合ってるのだろうな。

4月: 角の三等分

これは本というかこの本の示したことが面白かったよね。こういう科学的読みものを差し込んでかないとな、と思うけど、『銃・病原菌・鉄』みたいなやつは、重いというか、無駄に長いので厳しいんだよな。

10月:  読んでいない本について堂々と語る方法

これはまず読みやすかったね。読者というか教養における、根拠の弱い劣等感にある種の薬を与えてくれたと思う。フランスにおける教養とは、というコンテキストは厚くあるのだと思うけどね。

11月:  VA-11 Hall-A

ほぼ唯一、新しくやったゲームがこれじゃあなかろうか? あとシレンも今年だったかもしんない。今セットアップ中のマシンのホスト名もこれから取った。これでバーに行ってカクテルを注文しようとは思わなかったけれど。真摯なストーリーだと思う。空気としては『ライフイズストレンジ』に近いものがある。

10月: カスタムキャスト

asinはついてないが、これを含めずに今年は語れまい。本気でキャラメイクしてみたらスマッシュヒットしてしまった。名前をつけて、小説書いて、までして、精神世界の拡がりを感じる。最近は電車の中でエロ小説書くのは収まってしまったけど。過去にはカスタム少女とかもやってたわけだが、システムにエロがないのが、純粋に好きなキャラクターを作るための制約だったのだなあ

幻想水滸伝2

日記を読んでたらこれの再プレイをしてたことを思いだした。今年の春も今や大むかしだな。たまに急に猛烈にプレイしたくなるのだ。これはこの先もそうなんだろう。いいプレイ日記を書いていたので、たまに読み返そうと思う。

SHIROBAKO

プライムビデオで。1月から見はじめて8月に見終わったらしい。タロウがウザすぎて最初の数話で止めてたけど、そこを越えたらあとはスムーズだった。プロジェクト進行の話。辛く苦しいけど、それぞれ、好きなことのために進んでいる。結局は、物事を進めるってのは、本当のところはそうなんだろうな。小笠原さんにすごく似てる人が職場にいる(男)のがひそかに自慢。

書いてみるとこの中に、本の物語が全然ないことに気づく……。読んでないわけじゃあないんだが、今年を飾るような小説がひとつもなかったというのは、これは世界にとっての損失ですよ。おれの情緒を維持しないというのは。精神的な税金を払ってるお前らに悪いので、来年はカルチベートするよ。と、まとめながら日記を読み返していたが、今年も初めと終わりでやってることは変わってるし、おれもまた違っているので、まあ悪い一年ではなかったかな。

 

売野機子『売野機子のハート・ビート』

 

一緒に買ったやつ。こちらはけっこうよかった。そのたましいはよく考えた人でもある。

それよりも何よりも、おれはおれがマンガをよむ環境というのをおれのために具体的にあつらえなければ、ボールがかすっていくばかりの生活にこれから沈んでいってしまうのだと思った。カフェにでもバーにでも行ったらいい。

売野機子『クリスマスプレゼントなんていらない』

 

今年の前半に勢いあまって2冊買ってしまって、何かあったときに読もうと思ってそのまま措いていたものの一。なんつーか、この本に関してはあまりこれの琴線には触れないというか、同人誌的だったな……。

終業式で持って帰ったウワバキを自分で洗う

ってことをやってたけれど、今の感覚ならそんなに汚れたのなら新しいの買うよな。そうじゃないのは、当時の経済力で実現可能な範囲では、自分で洗うのが妥当なところであると。まあ、綺麗似た持ちなさいというのも、なんかの押しつけられた規範ではある。