元始女性は太陽であったという。太陽(たいよう)は、銀河系(天の川銀河)の恒星の一つ。太陽系の物理的中心であり、太陽系の全質量の99%以上を太陽が占める。典型的な主系列星で、スペクトル型はG2V(金色)である。推測年齢は約46億年で、主系列星として存在する期間の半分を経過しているものと考えられているという。21世紀の現代にあっても昼な夜な、太陽は燃えつづけている。
元始男性は性交を求めたという。元始女性もまんざらではなかったという。しかし光りかがやき熱を発する彼女自身を遠巻きに眺めながら、彼は指をくわえて眺めていることしかできなかった。何となれば、太陽は表面温度ですら六千度の高温の天体なのだからである。中心に至っては一千五百万度の超高温で、ここから陰《ほと》のことを万・高温、転じてまんこと呼ぶのだという [要出典]。これでは性交どころか、前戯の段階で灰すら残らない元始男性である。たまったものではない。そこで彼はひとつの気の長い計画を立てた。つまり、性交そのものを後継男性に委ねようという計画だった。長い時間をかけた科学/技術の発展が、距離と真空と温度にいつか打ち克つことを期待して沈黙しようというのである。そうして夢は夢のまま、彼女との逢瀬を未来に託し、元始男性は歴史の表舞台を去る。
想像を拒むほどの時間が流れて、現代。太陽はいまもぐるぐると我々をめぐっている。地上を照射し、元始男性の姿をを捜しているのだという。(しかし元始男性は光の届かない海底に沈んでしまっていたのかもしれない。)陽光の恵みのもと、地上の文明は歩一歩と進歩を続け、ついに人類は地球の重力を振り切るまでに至った。まさに性交の好機というべき状況だったが、ここに至るまでの長い歴史に、後継男性は、後継女性との性交を覚えてしまっていた。同じ地平に立つもの同士の性交は簡便だったし、そうやって人類はここまで繁栄してきたのだから仕方のない、当然の帰結ともいえた。そして今となっては元始女性=太陽を目指すものはごく少数である。ごく少数が意志を継ぎ継ぎ、宇宙を見上げ、百年後の逢瀬を目指して日々を送っている現状である。
さて、われわれはこのまま、見ないふりをしたままの発展を続けて良いのだろうか。そうすることによって地上の文明は、緩慢な死に向かってはいないだろうか。ここで再び、われわれ後継男性は、太陽を、元始女性に還ることを望むべきではないだろうか。いったん立ち止まって、一考してみる余地はあると思うのである。言わば、われわれはみな元始男性の後継者なのだから。そして、いまだ死せる元始男性は、その逢瀬を、夢見るままに、待っているのだから。