生活の動作がある場所を思い起こさせることがある。それは常に起こることでもなく、また起きてからああ、そういえばこんな想起があるのだった、というふうに思い出すものなので、なかなか日記にも書けずにいたけれど、いまは珍しくその関連のほうを思いだしたので書く。ひとつは頭を洗っているときに、沖縄のことを思い出す。台風の接近によって帰りの便が欠航になったとき、慌てて取ったホテルの風呂が屋上にあって、風が強まっていくなかその露天風呂に漬かっていたが、ロープが鉄筋に当たって鳴らすキンキンという高い音が聞こえていた。

いったいこの先なにが待ってるのか分かんねえなと思う。それはもうしみじみとだ。何か一つにやることを絞らないと、また停滞感から抜け出せないのだろう。コツコツ進められることを選んでそうできたらさぞかし立派だと思うけど、おれは生来飽きっぽいんだよな。絶望的にそう信じてしまっている。なんか伴走してくれるやつがいるといいんだけどな。それは人間でなくてもいい。いやおれが、一つのことに縛りつけられるのは相当なロスですよ。この宇宙にとって。ここにきてはもう、かけた時間は取り返せないのだと強く意識せざるを得ない。本当の意味での機会損失がある。あれもこれもやんなきゃ生きてる心地がしないのよ。

まあ数ヶ月ドブに捨てるつもりになるのも悪くはないのかもしれない。なんか手を動かす本読んだらいいかもな。『ゼロから作るDeep Learning』て本買ってたのを思い出したけど、会社に置きっぱなしだなこれ。

おれとねんごろな仲の、褐色肌の青年が辱めを受けたというので復讐に同行する。外国の政治家らしき面子が公共施設らしき立派な建物の、入り口にほど近い一部屋に集まっている。猟銃を手に最初に押し入った部屋は、民間人の家族が住んでいて、間違って撃たなくてよかったねと声をかけあった。隣の部屋がターゲットのいる正解の部屋で、ドアの前に見張りがいるので、おれが世間話をして気をそらしていると、その見張りが外に散歩に出かけたのでその間に突入する。開けた、植物など植わっていてオシャレな映画館のゲート付近で敵に見つからないように行動するが、そこで地元の友人たちが揃って映画を見に来ているのに遭遇してしまい、存在がバレてしまうのだけど、小さな建物の屋根からみなが飛び降りて集まったところ、植え込みに爆弾が仕掛けられていた。小さな爆発だったので怪我はなかったが、それで敵も味方も一致団結して壁をのぼりはじめた。

勤務先のYさんの職位が低いことを話題に出す。その上司と、かれが(顧客としての)担当になってから開発のクオリティに対する意識は上がったかい、と聞かれる。そのようなことはなかったと正直に応える。上司は別の元上司に変わっていて、そうでないようにしたい、ということをすべり台で遊びながら言っている……。

頭がフワフワと間延びしていて、2メートルくらいの高さにある。ここからならば首を吊ることもたやすい。これが希死念慮か、という実感を伴う。node-gyp がなぜかこれの略語となっているのだった。

ブッダ伝』を読む。原始仏教の教えはこのようであったのか、と知る。教えを伝える本ではなくて、ブッダの来歴を記したものなので、そのものズバリと書かれているわけじゃないんだけど、それがまあ却っていい気がする。文献からの引用が多く、それに基づいているので著者の私見が少ない(ように感じる)のもいい。

やはり原始仏教は実践哲学だったようだ。毒矢を受けたものに、誰がそれを放ったのかなどを教えるのではなく、その矢を抜くことをするのだ、という「毒矢のたとえ」が象徴的。また、輪廻転生や解脱といった観念は仏教独自のものではなく、バラモン教、もっといえばインド古来の死生観によるらしい。生は苦しいものであるから、その連鎖を断ち切る、というのが究極の目的になる。なんてこった、と思うが、そんなことが2500年も前から語られ続けていた。

これが現代日本の仏教にどう転じていくのかは興味あるけど、知っても愛着を持てるわけじゃあないんだろうなあ。

ローソンでコーヒーと大福を買って、空き地の縁石に腰かけてこれを書いてたが、10分で手がかじかんでしまう。

おれは人間の鑑だから残業でもしてやるか、と残業をしてやっていたらやなもの見ちゃったー。なんなのこれー。私へのあてつけ? 一回で済ませろや。これも全部学びです、などと言い張るのも苦しいし、かといって乗りこなせるわけでもない。あーいかんいかん。内心を忖度してはいけない。てか他人の内心などというものの存在を仮定してはいけないのだった。五感と、それから心があることが苦しみを産むのである。そんなことを無表情にスマホで打ち込むおれ。もう寝たいのに身体がかぶりついている!

何か美しい物語だった記憶があって、再読。『季語集』の冬のパートを読んでいたら「小春日和」の項でインディアン・サマーへの言及があり、おれはこの本の解説でその単語を知ったので、リンクするものがあるわけだけど、「透明なプラスチックに閉じ込められた蝿」というのが重要なモチーフだったのにも関わらず、いったいどんなものなのかわからないまま最後まで読んで、解説でようやくそれが何なのかを知る、という体たらくだったのも記憶している。それ以外は、最後の展開と、打ち捨てられた道路のイメージ、それだけが残っていて、こんなエピソードあったっけ、と思いながら読み返す。美しい物語かどうかはいまとなっては不明だ。最後の二章ほどは、昨日読んだせいで、迫りくる月曜日のプレッシャーによって丁寧に読めなかった実感もある。

現在、文庫版はAmazonでは買えないみたいだ。そう思うと買っておいてよかった本。それにしてもこれが2021年最後の小説にならないことを祈るばかりだよ。

寝る直前までポケモンやってるからだろうな、昨日の夢は、何かのポケモン夢特性が現実の未来を知るものだということになっていて、育成する。今日は巨大なカビゴン(とは言っても寝室の中に収まるくらいだが)を数人がかりで世話している夢。

年が明けたというのにまるでフレッシュな気分になれていない。変にテンションあがってないのをいいことに、日記帳を買ってみた。ローテンションでスタートできればうまく続きはしまいか? というピュアな望みだ。

今年はできることだけをし、できないことを約束しないことにしよう。そうして、心と体をコントロールする方法を確立していく。あとは……年収を安定させる方法を追い求めていく。それだけしかすることがない。

2020年をよかったasinで振り返る

全世界七十億のおれに愛されたみなさま、こんばんは。21時にすでに入眠していたおれに隙はなかった。なんなの。また年内に間に合わなかったけどまあ。

2020年は思うさま悪い年だったなと思う。なんか途中から仕事の本ばっかり読んでて、それが内発的で接近的なモチベーションじゃなく、外因的で回避的だったので、なんか辛かったなあ。とか過去形にしてるけど現在進行形だからな! 現に課題は目の前にあるし、抽象的な理解わつけてかないといけない。それに追いつくのが大変。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

嫌われる勇気

http://kejinan.hatenadiary.com/entry/2020/02/12/094515

他人の内面という対処のしようがない問題に心を悩ませる必要はない、という話。しか覚えてないんだけど、エントリを読んだらなんかそれ以外のことも書いてあったのでまた読み返してみてもいいかもな。

反応しない練習

うオーアー今日は苦しすぎる! って日の夜にさっと買って風呂で読んだ。悩みは妄想から生じる。妄想にとらわれるのではなく、現実に向き合うことで悩みから解放されるのだ。いわゆるマインドフルネス、ナントカ瞑想に通じる話で、仏陀が実践家であったという認識にもつながる。仏教の話ぜんぜんないけどね。いやとにかくしんどいことが多かった。この本で万全ではないが、足がかりにはなってる。

グノーシア

グノーシア - Switch

グノーシア - Switch

  • 発売日: 2020/12/17
  • メディア: Video Game

http://kejinan.hatenadiary.com/entry/2020/10/27/211252

今年は在宅勤務になったおかげでゲームをプレイできる時間が増えた、だけでなくクリアできるケースが増えた気がする。むしろこれまで、ほとんどがクリア前に飽きて投げられていたのが正常でなかったようにも思う……。おれにとってすべてがゲームオブジイヤーだよ。

グノーシアは延々ループをマジで100回以上繰り返させる中で、プレイヤーの中にキャラクターの存在を根付かせる。人によってその体験が異なっていて、シナリオめいたものが出現するのがほとんどランダムなので、より個人個人のものになるんだろう。よくこれにメインシナリオを乗せようと思ったよな……(特記事項埋めが運任せすぎじゃない? 的な意味で。イベントサーチと周回の物量でこなせるんだろうか)。

辺獄のシュヴェスタ

http://kejinan.hatenadiary.com/entry/2020/04/07/085839

主人公のエラには考え続ける心の体力がある、そんなセリフにそれだよなー、おれに足りないのは、と自省する。ま、それはともかく、ヒルデを次のマシンの名前にしたいのだけど、調達の予定が立たないね。

ラストゲーム

ラストゲーム 1 (花とゆめコミックス)

ラストゲーム 1 (花とゆめコミックス)

http://kejinan.hatenadiary.com/entry/2020/06/01/085851

かわいいよね。全部忘れてしまったけど。柳くん、出会った頃のみつ編みが好きな髪型ってのが、カルマを抱えこんでしまっている感じでいい。

君は放課後インソムニア

不眠症の高校生……だよな、の男女二人が出会い、天文部を作って星を見る。キラキラ、派手なストーリーがあるわけじゃないんだけど、読んでて気持ちいいと思うのは、取り巻く人々が、二人に対して優しいからなんだろうな。あとセリフが句点で終わってるのもいい。小学館だからね。

塩が舞い子が舞い

この作者はいかにもメジャーなのでなんとなく避けてたけど、これの一話をふと試し読みして、あまりに良くできてるので買ってしまった。一クラスを舞台にしたオムニバスで、気軽に読める。なんかテンポのいい会話とノリとキャラクター達。

Bird by Bird

http://kejinan.hatenadiary.com/entry/2020/01/20/100612

とはいえ英語の本を一冊読んだってことはしたみたいだな。書くことについて。たまに読み返すこともあるかもしれないけど、どうかなあ。日本語訳もじつはあるのだけど、あまり気に入らなかった(婉曲)。


そんなわけでさようなら2020。おれのためにひと思いに死んでくれ。年越しの本は『エンジン・サマー』再読。『季語集』の小春日和から連想したのであった。

「奇貨」って「機会」のtypoかと思ったけど機会に似たような意味で存在するのね。おもしろい。

太陽を見て眩しいとばかり思いつづけているとき、それは太陽だけを見つめすぎなのである。本当は空が星で満たされていることを見落としている。ポエミーだけどなにかに苦しめられているとき、こういう表現になる。いまはどうせすべての人間がモニタの中にしかおらず、1ピクセルの向こうにひとりの人間がいるわけでもなく、カメラとマイクとキーボードによって歪められた人間の存在が、ギガになってネットを漂っている。戯画となってな。

子供が遊ぶようなジャングルジムを登って、天袋のような狭い空間、白くて無機質な印象を与える空間を四つん這いに通ってその先に。大きな家の勝手口を上ったところに着く。壁際に雑多なものが置いてあって生活感が強い。おれがいるところから見ても三四個はドアがあり、それで大きな家だと思ったのだが、その一つは台所らしい。すごく太った女が水着を着て立っている。

暗闇の中、崖の上から敵兵に向かって矢を放つ。手応えがないので照明弾を打ちもする。崖から館の方へ戻るとお偉いがたが飛び出してくるが、結局、敵に動きはないということがわかるのみである。館の前の小石の敷き詰められた庭で猪と戦う。おれは槍を相手の肋骨の間に突き刺しているが相手が実は人間である気がして捻じりこむことができないでいる。

どこかの駅を降りると田んぼと住宅地が接しているくらいの田舎。メートル級に太い帯に覆われているので、目的地がよく分からない。