人の気持ちもっと自然に考えられる人間になりたい。いつも自分勝手なことばかりして後からあの時のおれはバカだったとクヨクヨするばかりだ。人に厳しくも辛くも当たる理由なんてないのに。心の中で考えるだけでもおろかなことだ。

「心がキューとなる」という表現はそれだけで心苦しい。それを書いた人がいるのが辛い。

ロシアの古い翻訳小説を読んでるとわくわくするって気持ち、あれを久しぶりに感じた。これはどこからくるんだろう、内容ではなくて、文体とか固有名詞だろうという気がする。本には苦手意識がまだあるのか、読んでても楽しいっていう気持ちになかなかなれないけど、古典の翻訳は好きに思うことが多いかもしれない。でもやっぱり話は頭に入ってこないんだけど。