森岡毅『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?』

USJ最高マーケティング責任者の、V字回復のふり返り記。パワフルだなー。文体から、ゴーストライター使ってないことがわかる。こういう本ってだいたい自分の手柄みたいに書かれがちなんだけど、いいのかねえ。と思いながら読んでいたが、実際七転八倒しながらアイデアをひねり出す仕事をしたのがこの人なのも間違いなさそうだ。

少しだけ思考のフレームワーク的な話もあって、目的、戦略、戦術と降ろしていくわけだが、戦略はどこに経営資源を集中させるか、と明快に書いてありなるほどと思う。そして戦略は戦術の必要条件でもある(必要条件という言葉は何度も登場している)。関東-関西間の3万円の川、という話も面白かった。

こないだ

仮面ライダージオウを見たんだけど前に何かで見かけたときには腕時計モチーフだなと当然すぐに気づいて勝ち誇りつつ忘れていたのだけどこのとき見ると顔にライダーと書いてある!ことを知ってめちゃくちゃかっこいいではないか。ライダーひとつも見たことはないが平成に入ってはじめて興味が湧いた。ルパンレンジャー対パトレンジャー?も面白そうだけどややチープに感じた。

ダレン・シャン『ダレン・シャン』#1

ダレン・シャン1 奇怪なサーカス

ダレン・シャン1 奇怪なサーカス

なんかヤングアダルトが読みたくなってのこれ。小学生のころかな、弟が読んでたんだよなー。その時にはもう勝手に子供っぽいと断じて、手にも取らなかったわけだけど。いやー、面白い。じつにダークファンタジーだし、一種の理不尽な世界に巻きこまれる過程は神話的。1巻は完全に導入なわけだけど、これでちゃんと飽きさせないもんなんだろうか。ぐぐってから作者と主人公の名前が一緒なことに気づいたね。続きも普通に読みたいね。

ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

もちろんハウツーじゃないんだけど。ハウツー本も別にほしい……

ペンで線引きしながら読んだからかもしれないけど、現代文とか論説の問題文になりそうな、わかりやすい文章だった。章ごとに半分くらいが何らかの小説の引用から成り立っているので、主張部分の分量が少ないのもあるかも。とはいえ一晩寝て朝から読みはじめたぶんは少し理解が浅い感じがある。

タイトルはこんなだけど、主題は書物をきっかけにした、書物にまつわる教養の話であり、書物にまつわる教養の話である。教養者たるもの、教養とされる書物は読んでいなければならないものである、という強迫観念を解体する話だ。

われわれは本を読んだそばから忘れていくものであり、また、人から本の話を聞いたり、タイトルや著者が目に入るだけでも自分の中に反響やイメージを創り出すものであるから、つねに本を読んだ状態と読んでいない状態の中間にいるのだといえる。人が本について語るとき、創造しているのは語り手その人であり、本は他者との仲介とはなっても絶対的なものではなく、それぞれの自己を投影するものとしての書物が交わっているにすぎない。つまりそこで本質的なのは、語り手や聞き手やそれらの作りだす場のほうなのである。

この本ではさまざまなシチュエーション(目次をみてくれ)を例に引きつつ、人が本について語ることのプロセスを明らかにしてゆく。教養と書物にまつわる概念を、以下のように整理できる。

形態 教養としての本の集合 書物
パブリック 共有図書館 遮蔽膜としての書物
プライベート 内なる図書館 内なる書物
交わり バーチャル図書館 幻影としての書物
  • 共有図書館とは、時代に共有された、(教養としての)書物どうしの関係が織りなす書物の空間(=図書館)。
  • 遮蔽膜としての書物とは、書物にまつわる言説によってまったく覆い隠されてしまった書物の、それをとりまく言説そのもの。
  • 内なる図書館とは、個人に内在する、忘れられた書物や想像上の書物たちの図書館。
  • 内なる書物とは、それが読解を方向づけ、すべての出会う書物がそれによってフィルターされるような、体系的な世界観の総体。
  • バーチャル図書館とは、本が、本の虚構にとって代わられることを合意された、ゲーム的な、教養におけるコミュニケーションの場。
  • 幻影としての書物とは、本と、それを読んだ人間との間に生みだされた想像上の書物を

そしてこの理解はもちろん、おれがこの本を通過するときにおれが創造したものである。読んでよかった。NHKの『100分で名著』にちょうど取りあげられたところで、思いだしていた『薔薇の名前』も登場していて、こういう出会いもいつもどおりある。

河本薫『最強のデータ分析組織 なぜ大阪ガスは成功したのか』

最強のデータ分析組織 なぜ大阪ガスは成功したのか

最強のデータ分析組織 なぜ大阪ガスは成功したのか

ある社の事例として面白かった。

データ分析チームが、事業部門からのスポンサーシップによって仕事を負っていること。これは事業側からのコミットメントを引き出すのに有効な仕組みになっている。一部はコーポレート予算もあって、それでネタ探しと技術獲得をしている、と。今はともかく、ゼロからのスタートのときにまったく依頼がなかったら大変だよなあ。分析チームから提案に走るのだろうけど。なぜ分析チームが生じ、いまもあるのか、どのように経営に評価されているのか、は透明なトピックだったように思う。

チームの目的は分析ではなくあくまで業務改革である、というのも当然のようだけどよい姿勢で、分析結果を適用するまでの一種泥臭い知見もある。責任の線引きを明確にすること、業務担当者を尊重すること。

あとはリーダー論。今どきっぽいことが野生的に実現されていてなんだか凄みを感じる。巷の諸々の本の存在はいったい……。

よく出てきたのが「臨界」というワードで、状況を少しずつ温めていきながら頃合いを見計らって次の段階に進める、というような意味だ。王道はない、ということなんだろうな。