なんだかそういう風に気が向いて、数学の問題を解いたりしている。こう仮定したならばこの式が成り立つ、ことを証明するためにこれを導く。……といった考えを、言語化することもなく高校生のときには紙の上で、日本語ではない言語を書きながらおこなっていたとは、いま思えば不思議なことだ。しかし頭を使う遊びをいくつも抱えてはいられないのも難点ではある。

そうしつつ、映画『ジョーカー』を観た。最後のショーへの出演はずっと妄想だろうと思いながら観ていたのにそのまま最後までなだれ込んでいったので、奇妙な感じがする。病院めいた部屋もなんだったのかという。