マミさんの扱いに困るというのはそのまま、つまり俺自身の扱いに困るということであります。彼女の孕む問題は他人の言葉によっては昇華できるものではないのだから、なれば彼女自身、すなわち俺自身によって打破されなくてはならない。がんばれマミさん、ひいては俺。という自分勝手無責任な声をかけられて、望むでもなく他人の自意識を背負わされ、そのうえ勝手に飽きられ忘れ去られることになるのかもしれないけれど、それでもあなたの選択が希望となる。だから言葉は慎重に、けれど選択は大胆に。