技術的には面白いのに世間で語られることの実態がよくわからん(とくに「Web3」)のでAudibleで読める本を読んでみたとところなんだが(そういうことをするからいかんのだ)、理想を語るなら現実とリンクさせる必要ないのに、現実に価値があると主張しだすからあやしい感じになる。たったひとつの現実世界がしっくりこなければメタバースで新しい世界を作れるという主張はそこに誰もこないような世界をつくることにどれだけの意味があるだろうと思うし、子供向けYouTuberの広告報酬が下げられてしまったことを引き合いに、Web3でプラットフォーマーから脱することを目指そう、という主張はどこから報酬が支払われるのという議論がついてこないので、アンバランス。逆に広告なしでどうやって一握りの上位層以外の数多くの人間がインターネットで自分の活動の対価を得ることができるのか、真剣に考えたい。いわゆる投げ銭の時代だと思うけど、投げ銭しない・されない大多数の層はそこで切り捨てられることになるんだよな。さまざまな活動がブロックチェーンに乗り(それは非現実的だが)、あらゆるアクティビティに少額の支払いが結びつくようになったら、意識は変わるだろうか? そういう思考実験をするのはいい。ただそれが現実にいまやってきている世界だと説明もなしに主張するのは無責任だ。理想はいいけど、それはコミュニティや市民にとってよいということで、企業がゆくゆくはDAOになるというような主張は夢を見すぎだろうと思った(そんなこと言ってたっけ?)。なんかオープンソースはよいのでオープンソースは儲かる、みたいな主張を聞いてるような感覚。ああまあメタバース技術はエンターテインメントや製造・医療の領域に価値を出している・出せると思う。こっちのほうがまだ地に足ついてる。あとDAOを『なめらかな社会とその敵』にからめて語る筋はもっとあってもいいと思うのに、なかなか見ないな。調べてないからだけど、そっちから来いと思って待ってる。