去年二度ほど本棚を掃除して、取っていた本も結局再び手に取ることはなかったね、との実感を新たにし、本は読み終えたらどんどん売っぱらってしまえばいいというムードになっている。近場の古本屋に並んだ本を見るとあっおれの本だ、いやまだ家にあった気がする、いや読みたかった本だったっけ? と本たちが汎性を得つつある。

そんな中なのでこの本も閉じてしまえば持っていくか、と読んでいるときは思っていたのだけど、気持ちを変えて置いておくことにした。断章がいくつも連なっていて、つながりもわかりやすく見せられるわけではないのでぜんぜん読みやすくないし、なんなら半分くらいしか理解できてないんだけど、そのカオスを癒やす、無垢へのあこがれのようなものがあった。

それにしてもこのわからなさというのは、名前だね。出てくる名前が下の名前なのか名字なのか、男の名なのか女の名なのかがちんぷんかんぷんで、状況から読み取らなければならないのが辛い。まあ、理解の程度というのは、読んでいるときの自分の状況にも大きく左右されるけどね。

くたばりやがれ、とんま。 悪臭が漂う足の踏み場もない教室で、巡査部長、ソウザ巡査、イザウラがはっとして先生を見た が、この場をどうおさめるべきか思いつかないようだった。 ほんとうにそう言ったの? そのとおりの言葉を使ったの? 教会の集会室で、ゆっくりと、身動きもせず、神父は完全な沈黙へと身を引いていった。シスタ ー・ルジアは返事を待っていた。そういう目をしていた。 いいえ、ほんとうはそんなふうには言っていません。そんな言葉は使っていません。ほんとうはこう言ったんです。この腐りきったクソ野郎、ふざけたことぬかすとタマつぶすぞ、って。 (p.109)