ヒルダという名の剣士

長い夢を見た。たくさん寝たし、覚醒したタイミングもよかったのかもしれない。

どこから始めようか。賭けごとの街に来ていたようだった。とは言っても天をつくような高いビルとか、ど派手なライトアップがあるわけではなく、五階建てとか十階建てほどの横長のビルが道路沿いに並んでいるだけで、視界は薄く立つ霧とビルの暗い色の肌でいっぱいだった。歩いている人はほとんどいない。

そのビルのひとつの入口に、同僚と、高校時代の友人と、知らない女性とで並んでいた。おそらくこの中で催しがあるのだろう。女性と同僚とは出身高校が同じだという話題で盛り上がっているようだ。その話を聞いて思い出したが、バスでこの街に着いたとき、一人の男と剣道の試合をしたのだった。もちろんおれは負けたのだが、去り際に「また戦ってください」ということで面目は保った。こう言うことでどんなみじめな敗北もリセットできるのだ。たしかその男の出身校が、ふたりと同じ高校だった気がする。そう伝えると、「ぼくの代だと、もう弱小になってたからなあ」「私のときもそうだったよ」と、やや白けた反応。昔は強豪校だったのだろう。

そんな話をしている間にもスマホの電池は減ってゆく。一度ホテルにチェックインしたくなったと告げてその場を去る。ホテルはそこからでも見える距離にあったが、砂漠の中に立っていた。ホテルに着いてから肝心のスマホを忘れたことに気づいて、届けてもらった。部屋で一人になったのでオナニーの準備をしている間に、時刻は午前一時とか二時になっている。妻を迎えに行かねばと思い、赴くも、ポーカーか何かに興じているようでまだ帰る時間でもないようだった。

そしてオークがホビットたちの根城を侵略しようとしているという話を聞く。積極的に加勢しようとしたつもりはなかったが、今いるところがホビットたちの巣なのだった。準備をする間に勤務先に顔を出すと、一人に「ホビットドワーフたちを住処から追い出したときの話を知っていますか」と訊かれた。知らないが、おれは知ったかぶりをして、「フェローシップオブザリングより前の話だっけ?」と返した。オークはトンネルの中をゆっくりと進軍し、ホビットを捕らえては盾代わりにして弓矢の狙いをそらしている。オークが蛇をふたつにちょん切ってホビットたちの集団に投げ入れると、一人がそれに咬まれ、(毒を)吸って吸ってと大騒ぎをする。近くで見ると、ホビットというか子供たちの集団というほうが正しそうだった。蛇は側面の波の模様が大きくうねっていて、茶色の中にところどころオレンジ色の斑点があるのでこれはシマヘビだ[あとで調べたところ、少なくともシマヘビではない]、毒性はないよといってなだめようとするが、子供たちは大急ぎで逃げていってしまった。

子供たちの居なくなった通路を、オークの隊長格がのしのしと近づいてくる。おれの手元には東急ハンズで買ったらしいまだビニールのついたままのメイスが一本、それに一斗缶があるのみだ。と、ひとつ向こうの通路にいて姿の見えなかったヒルダという名の女剣士が、隊長の前に身を現した。「メイス使うか?」と背中から声をかけるが、「いらない。これがあるから」と左手に持った武器を見せる。根本で折れた大剣だった。ナイフほどのリーチしかなさそうだ。女剣士はたった一人で、二倍も大きさのあるオークに立ち向かおうというのだ。「つくづく、ヒルダって名前の剣士には縁がある」おれはそうつぶやくと[幻想水滸伝2のキャラクターを想定していたが、それはアニタだった。ヒルダは宿屋の女主人だ]メイスの先に一斗缶を取りつけた簡易な武器を手にして飛びだした。ヒルダと切り結んだオーク隊長の背中から、後頭部を何度も強打する。そうしているうちにオークがゆっくりとこちらを向き、歩いてくる……と、今度はヒルダが背中からオークを攻撃し、オークはバランスを失って地面に倒れこむ。すかさずヒルダが抑えつけ、おれは一斗缶メイスでふたたび殴打する! 一斗缶ははじめこそ軽くて頼りなかったが、殴打を続けるうちに少しずつ重みが増して強力になっていった。中にオークの血が溜まっていたのかもしれない。オークの抵抗が鈍り、制したかと思っていたとき、奥から隠れていた小さいオークが飛びかかり、ヒルダに覆いかぶさる。おれもすかさずメイスを振りかざし、隊長と交互に殴りつけた。「最終だ! 最終だ!」アニメか漫画で知ったとどめの言葉を叫びながら。いつの間にかオークとヒルダの位置が入れ替わっていたが、三度ほど殴ったあとで気がついた。

ヒルダは二匹のオークを武装解除すると、帰りな、と告げて解放した。こいつらをどう始末するのか、と考えていたおれは驚いた。「また来たら、戦えばいいさ。あんたも加勢してくれるんだろ?」ヒルダはそう言ってにやりと笑った。おれはもう帰りたかったが、その言葉には頷くしかなかった。しかし何もなしに帰すわけにはいかないだろう、子供たちの喜びそうなものを残していけよ、と、おれは小さいオークに言った。オークは駄菓子屋でボンタンアメやヘリコプターのおもちゃを買って置いていった。隊長のほうはとっくに逃げ去っていた。

夜の街を、ヒルダをおぶって歩いている。「さっき私をぶっただろ」「三回で止めたじゃないか」なんて話をしながら。「のどかわいた」とヒルダが小さな声で言う。「おいおい、随分としおらしいじゃないか」「周りに誰もいないからね」近くのコンビニに寄って、何か飲み物をあさることにした。棚にニンニクトマトスープなる特別な商品が乗っているのを見て、ヒルダはこれにすると決めた。おれも興味があったが、普通のフルーツジュースにした。スープは少し分けてもらえばいいのだ。

翌朝の町を歩いていると、4D結婚式というのをやっていた。路地の後ろから集団が歌いながら行進し、同じく歌う新郎新婦と合流する。やがて大きな道に出ると、子どもたちが等間隔に並んでいるのだ。行進の一種だが、本人たちは何をしているのかよくわかっていないので好き勝手に喋っている。コーラスの声はいまも空に響いていて、美しかった。