成人の日です(きのうが)。このタイミングで買い物に出かけていて、午後になると成人式帰りの人々がちらほら見える。スタバにたむろするスーツ・振袖(だっけ)の男女集団を見て、自分のときのことを思い出した。それは(ry

逆に聞くが「おもしろいミステリ」って何? 経由で購入。この作者はいくつか読んだ中で『さよなら妖精』に連なるものらしい。さよなら妖精はそんなに好きではなかった覚えがあるけど、これはけっこうよかったな。登場人物の数が大変小さい。そういう意味ではミステリとしてはスケールが小さい。読みやすいっていういい意味で。ミステリ成分は三分の一くらいで、その塩梅もよかった。

去年二度ほど本棚を掃除して、取っていた本も結局再び手に取ることはなかったね、との実感を新たにし、本は読み終えたらどんどん売っぱらってしまえばいいというムードになっている。近場の古本屋に並んだ本を見るとあっおれの本だ、いやまだ家にあった気がする、いや読みたかった本だったっけ? と本たちが汎性を得つつある。

そんな中なのでこの本も閉じてしまえば持っていくか、と読んでいるときは思っていたのだけど、気持ちを変えて置いておくことにした。断章がいくつも連なっていて、つながりもわかりやすく見せられるわけではないのでぜんぜん読みやすくないし、なんなら半分くらいしか理解できてないんだけど、そのカオスを癒やす、無垢へのあこがれのようなものがあった。

それにしてもこのわからなさというのは、名前だね。出てくる名前が下の名前なのか名字なのか、男の名なのか女の名なのかがちんぷんかんぷんで、状況から読み取らなければならないのが辛い。まあ、理解の程度というのは、読んでいるときの自分の状況にも大きく左右されるけどね。

くたばりやがれ、とんま。 悪臭が漂う足の踏み場もない教室で、巡査部長、ソウザ巡査、イザウラがはっとして先生を見た が、この場をどうおさめるべきか思いつかないようだった。 ほんとうにそう言ったの? そのとおりの言葉を使ったの? 教会の集会室で、ゆっくりと、身動きもせず、神父は完全な沈黙へと身を引いていった。シスタ ー・ルジアは返事を待っていた。そういう目をしていた。 いいえ、ほんとうはそんなふうには言っていません。そんな言葉は使っていません。ほんとうはこう言ったんです。この腐りきったクソ野郎、ふざけたことぬかすとタマつぶすぞ、って。 (p.109)

たとえばロンドンのとある貧しいお針子がじぶんの屋根裏部屋で黒土いっぱいの植木鉢に花が咲くのを何とか見たいものだと思ったとしましょう。たった一輪の花がその哀れな女をなぐさめるのです。しかし残念ながら現在のところ、 手持ちの命のなかで、あちらでバラの花になりうる「物質」はこのパイシャ地区にいる政治家とのこと……。そこで登場した無頼漢が飛び出しナイフを振りかざし、くだんの政治家に切りつける。腹から飛び出た男の腸は汚水に流される。人々は辻馬車を連ね、その政治家を埋葬しにいく。そして物質は分解をはじめ諸元素への大々的な変化に混じりあい、ついにその無用な政治家はパンジーの花に姿を変えて、かの金髪のお針子の屋根裏部屋を飾る。だから殺人者は博愛主義者なのですよ。

年末読んでた本の①。裏表紙のあらすじと本文とで亡者の台詞が全然違っててうけた。

19階建てのビル、正確なところはわからないがともかくキリの悪い数だった、もしかしたらホテルかもしれない、そこに立派な肩書の面々が集ってきてその中におれも混ざっている。注意喚起かただの伝達事項か、一階から登りつつ順番に各階のゲストたちに声をかけて回っている。途中の階で「レベル・テレポート!」と叫ぶと周囲の人間とともに、途中の階を飛ばして最上階に着いてしまった。そこで到着に気づいた親分みたいな人が、おれの周囲の人を一人ひとり名前を挙げて紹介していく。その名前の並びの中におれの名前はなかったわけだが。

2023年をよかったasinで振り返る

年頭にはなにか思っていたこともあったようだが今年はほんと自由のない年だったように思う。No自由、No精神! ということだね。まあ勉強はしたかな。勉強するってことをいっとき思い出した年ではあったかもしれない。来年はまた創作に触れる気持ちになれるといいなあ。

英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史

そう、スペイン語を勉強しはじめたのよね。第二外国語を真面目にやるのが初めてで、言うて英語と同祖やろと高をくくっていたが似てるようで違う。ひるがえって英語という言葉の奇妙さを知ることになった。よくこんな言語使ってるよ。

十三機兵防衛圏

南奈津乃さんだよ! すべてが謎の導入と、不穏さを高めるばかりの中盤と、だんだんと筋が通っていく終盤と、Outer Wildsに通じるようなノベルゲー的楽しさがあった。

プロジェクト・ヘイル・メアリー

今年久々に読んだ小説でありSF。火星の人よりもとにかく盛り上がりのある構成。信じられないくらいロッキーが愛しくなるしラストも気持ちいい。

ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録

はずみがついて積読を崩しはじめたのがもう寒くなってから。合わせてヘレン・ケラー側のも読みはじめたけど、やはり先生側のほうが断然面白い。サリバン先生、この時点では小娘と呼ばれていてもいいくらいでしょう。手紙にこれだけのことが残ってるのも奇跡的。


今年は収穫が少なかったがそれを受け入れる。来年は破壊と創造の年になりますように。

物語においてストーリーとキャラクターは不可分であり、キャラクターの内面の変化はストーリーの構造と一体化して現れ、読者を引きつけ続けるために飽きさせないために工夫されて供されるものなんだね。

オタクって今ではキャラクターエンターテイメントを積極的に消費しにいく人、以上の意味を持たなくなったよなあ。そういう意味ではあらためて蔑称だと思うが。

Inscryption、一応クリアした。正直なところ途中から面白さは失速したかな~。単純にゲーム性がだるいところがあったと思わないかい……。次は何やろうかな。ゲームは一つずつやるのが楽しいね。

外国人の男と女がそれぞれ銃を持って対峙している。白昼、周囲は灰色の瓦礫。とつぜん、男が笑い出す。ははは!おれのチンポに銃弾を打ち込むなんてな!アメリカ映画風のコミュニケーションで女も笑う。緊張は解けたようだった。実際男の肛門のあたりには銃弾が埋まっていた。

瓦礫に誰かいるのか、誰もいないのか、おそるおそる調査しているうちに、どこからともなく歌が聞こえてくる。相方が言う、ほら、だから耳を傾けなきゃって言ったでしょ。その歌のバーコード的表現かハッシュ値を取れば、知り合いだとわかった。乳母車のようなものに何かの機械?を載せている。やがて空から大きな滑空機が降りてくる、着陸の際に瓦礫で羽根をこすりながら。鉄パイプでできた骨組み。乗っているのは父親だ。そんなふうにして、だんだんと人が増えていった。

風邪ひいてた。なんか熱が出たり寝込む程ではないが、決して元気ではない、という微妙なライン。最近手慰みにNYTのパズル集(Wordle、Connections、Mini)をやってるのだが、これをやる気が起きない、というのがひとつのしるしだった。

もう数年来、たまに顔を見ることがある近所の小学生が最近方言を喋っているのを見て、ああ以前は常に敬語だったのにな、いま思えば自閉症傾向があったんだろうかなどと思った。思ったわりに自閉症のことはなんも知らんのよね。

このように病気などによりなんもやる気がないときにインターネットを見てると、どいつもこいつもやる気に満ちあふれているようで、一日一日置いていかれているような感覚になる。いけないことだよ。けれどそういう世界で暮らすことを自分で選択したのだったような気もする。

で、まあ積読崩しキャンペーンで『ガルヴェイアスの犬』を読んでみてるんだが、いつにもまして登場人物がわからん。名前なのか苗字なのかの区別もつかないので混乱する。カベッサは調べてみたら苗字のほうかな……。何人かのエピソードが順番に描かれているみたいだけど、最初の登場人物はマジで理解できてない。